Kafka

「ここは、声に出して笑ってもいいのだろうか?」
そんな場面が、何度もあった。
松本修演出、1年間のワークショップを経て、「脚本のない、原作から」作り上げた舞台、『審判』。主人公ヨーゼフ・Kは、30歳の誕生日の朝、見覚えのない逮捕をされ、訴訟が始まる。見えない権力によって
ーーそもそも有罪・無罪以前に「なぜ裁判に巻き込まれたのか」「何の裁判なのか」ということすら分からないまま、彼は窮地に追い込まれていく。
「チェコ発の作品が、皮肉が強かったり、不条理であったりするのは…ロシアなどの大国に翻弄された歴史が関係あると思いますね、一応キリスト教ですが、宗教もあまり慮ってないように見えますし、離婚率も50%と高い(笑) 何も信じないぞ、という部分はあるかもしれないですね」と、友人であるチェコ総合情報雑誌・CUKR(ツックル)梶原編集長が、話していたことを思い出した。
『審判』も、そんな「チェコ的」視点から見ると、すんなりと飲み込める。不条理な大きな力、クルクルと表情を変える悪魔的な娘たち、神様でさえ救ってはくれない状況。酷い話だ、しかし、チェコ的には真っ当で王道な話なのかもしれない。
私は観劇にあたってーー「カフカ作品」ということで、「高尚なもの」「難しいもの」と捉えて、やはり腰が引けていた。しかし、そんな「チェコのこと」を思い出しながら、物語のうねりと、立体的に作られた(素晴らしい)舞台装置の上で踊る役者たちを、目で追っているうちに、螺旋階段を登る時のように、目が回っていった。
そして思った。
これは、「分からなくていい」のではないだろうか。
この「気持ちの揺らぎ」を、音楽のように楽しんでもいいのではないだろうか。
「にじみ出る何か」を、感じればいいのではないだろうか。
時々挿入される、「変な踊り」や「変な顔をする女達」などに対しても、声を出して笑ってしまって、いいのではないだろうか。
満席の中、私同様に、笑いを堪えた「フッ」という人の声も、幾つか聞こえた。
もっと自由に、チェコビールで酔った時にくらいに自由な気持ちで、観れたらもっと楽しいのだろうな、と思った。
ーーふと、今年初めて、プラハに行った時、夜の移動中に見かけた、古い古い改装中の建築物を思い出した。カフカのいた時代と変わらない町並みだから、建物の闇も恐ろしく深く、眺めただけでゾッとした、同時にワクワクもした。あの闇の中では、すさまじく恐ろしいことも楽しいことも、何でも起こりうる気がする。
公演は8日まで。

文:大塚 幸代 (おおつか・ゆきよ)

世田谷
パブリックシアター
山村浩二監督
「カフカ田舎医者」
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